都会っ子が見た豊かな自然
─────杉本弘子さん
こんにちは!フジギャラリー新宿の原田です。
フジギャラリー新宿では、インテリアにマッチしたアート作品をご紹介しています。抽象も多く扱っていますが、お花や動物の絵、風景画ならば何となくわかっても、抽象画は、ただの線だったり、丸だったり、絵具を散らかしただけのように見えたりして、 「分かるようで分からない」というのが、正直な感想ではないかと思います。
そこで、完璧な左脳人間・原田が、アートを生み出す人々にインタビューするシリーズ。今回は、東京・中野区から山梨に移り住み、豊かな自然を描く杉本弘子さんです。
————東京の中野区のご出身だそうですね。
はい。2つの商店街に挟まれた住宅街で育ちました。父は製糸会社の営業で、母は専業主婦。ごく普通の家庭で育ちました。
————どんなお子さんでしたか?
絵を描いたり、物づくりが好きで、NHK教育テレビ番組「できるかな」を見ながら、妹のためにいつも作っているような子でした。10歳から近くの東大附属中(児童教育の研究で有名)の美術の先生に指導いただいていたのをよく覚えています。割と放任主義で、百合の花や果物などを描かせる。最後にみんなの絵を見て、先生が寸評を与える、という感じでした。
のびのび、女子美大生活
————それで、中学校から東京・東高円寺の女子美大附属中学に進まれたんですね。絵の試験はあったんですか?
いいえ。学校は、絵の才能は学校で伸ばす、という方針で、国語と算数だけで受験できました。当時は、絵がやりたい子ばかりでなく、ピアノを本格的にやっているから、受験勉強でレッスンができなくなるのを防ぐために来た子や、親が女子美出身だから、というので来ている子も多かったですね。でも、週に7時間も美術の時間があり、課題(宿題)も多く、自然と身についていました。
————それは手厚いですね。
そうですね。デザイン(平面構成)の授業もありました。ピーマンを輪切りにしてどう描くかとかですね。木彫りもしました。あとは、モザイクタイルで時計を作ったり、銅板でオブジェのようなものをこしらえたり。美術の授業は総じて楽しかったですね。学校と併せて中学2年生から、桜井悦先生・岡田節子先生(女流画家協会委員)のアトリエに毎週通ってご指導頂き、描いて描いての6年間をすごし、大学に進みました。
《休息》 油彩 910×910mm ¥264,000
————油彩を選ばれた理由は?
私は油絵具が好きなんです。色を混ぜると思ったとおりの色ができる。色づくりがとても楽しかった。妹をモデルにして、人物をたくさん描きました。抽象的な表現に行き始めたのは、卒業制作ぐらいからでした。「天上への想ひ」というタイトルで、空を見て何かを思う人々を描きました。私の絵には、必ずストーリーを入れています。
————院には進まれなかった?
院にはすすみませんでしたが、跡見短大の生活芸術科の助手を2年間やっていました。先生のお手伝いをしたりしていましたが、休講が多い。長い夏休みはお給料が本当にすずめの涙ほどでした。
イタリアの教会美術に大興奮
————転機になったのは?
助手をやめて、別のところで働いて貯めたお金で、40日間、友人とイタリアへバックパック旅行をしました。もう全てが刺激になりました。教会の壁画が特に。内容は分からないのだけれど、とてもハマった。人物もそうだし、原始的なイメージに魅入られました。戻ってきてからも、興奮が醒めなくて、たくさん大きな作品、教会美術のようなものを描いて描いて・・・。イタリアで絵具を買ってきたんです。でも、日本で見ると、全然色が違って見える。日本って空が遠くて、空の青もイタリアより薄いんですね。
————戻ってからのお仕事はどうでしたか?
室内ゴルフ場のグリーンのイメージを壁いっぱいに描く、といったお仕事をいただきました。ペンキ屋さんなら1日でやる仕事を、月給をもらって4ヶ月もかけて描かせていただいた。シミュレーションゴルフの、15坪ぐらいの店舗です。それ以外にも、知り合いの花屋さんが持っている5階建てビルの最上階に、壁画を描きました。140人ぐらいの天使と雲と。どれぐらい描き続けたかというと、3年(笑)。お花屋さんのお手伝いもしたり、部屋の留守番をすることになったりして、よく分からなくなってきたので、区切りをつけるために雑貨屋に就職しました。恵比寿ガーデンプレイスや、東京・お台場のヴィーナスフォートなど、新しくできたスポットにお店を出しているおしゃれ文具などを揃えた雑貨屋さんです。アートフラワーが商材にあったので、お花屋さんでの経験が生きました。ボタニカルの版画なども扱っていたので、絵のそばにはいましたね。
《樹皮》 油彩 530×333mm ¥132,000
リゾート気分だった山梨移住
————それから、ご結婚なさって、山梨に移られたんですね。
山梨に住む、夫の母親が体調を崩したんです。当時駒沢大学(筆者注・東京都世田谷区にある東急電鉄の駅名)に住んでいました。物価も高いし、「山梨に引っ越そうか」という話をしました。そしたら驚かれて。「え、東京を離れられるの?」と。生まれも育ちも東京ですから、勝手にそう思われていたみたいです。でも、それまでも遊びに行ったら優しくしていただいていたので、のどかでいいんじゃないかと思っていました。
————どうでしたか、お住まいの山梨県・都留市は 。
最初は、ずっと旅館に泊まっている気分でした。引っ越してから割とすぐに軽井沢(長野県)に旅行して、自然がいっぱいで嬉しくて、たくさん写真を撮ったんですけれど、家に帰ったら、家の周囲と同じでした(笑)。東京では窓を開けるとビルの壁が見えるのに、都留では窓を開けると自然が見えます。自然って、毎日毎日変わるんです。それに、今の方が駅に近いんですよ。中心部まで車で5分。スーパーまで徒歩4分。田舎ですけれど、便利です。
————今は樹皮をよく描かれていますが、その頃からですか?
いえ、最初は、人と絡めて描いていました。紅葉が手を挙げている「人」に見えたんですね。それがとても不思議に感じて。そんな作品を見た、服部圭子先生(女流画家協会委員)が「この作品の、人物をやめてみたら?」と。それまでは本当に人物をよく描いていたので「え?」と思いましたが、服部先生のアドバイスは的を射ていることが多かったので、そうしてみようと思ったんです。
そしたらもう、木に夢中です。いつでもどこでも、木のことばかり。ドラマを見ても、うしろの木しか見ていない(笑)。暇があれば「樹皮図鑑」を眺める毎日です。
————「樹皮図鑑」という書物があるんですね。
樹皮を求めて富士山にも車で行けるところまで登ります。変わった木がたくさんあるんですよ。
————樹皮をいろんな手法で表現していらっしゃいます。
スタンピングというんですが、タオルでポンポンとして質感を出してみたり、トレーナーの袖口もまた違った面白い表現ができます。100円均一のお店にいったら、穴あきお玉とかレンゲとか、何か絵に使えるものはないかと探します。木肌なので、茶褐色がメインなのですが、青を入れてみたら、水色を入れてみたら、と、いろんな挑戦をしています。
————杉本さんの作品は、抽象ではないんですよね。
はい。私の絵は、木肌を思い切りクローズアップした具象です。具象ですがもう少し造形の奥を深めて、絵にする形は増えてきてもいいかなと思っています。
《抱く》 油彩 273×273mm ¥49,500
《さらさら》 油彩 430×520mm ¥99,000
インタビュー後記 ————————————
杉本さんは、艶々のお肌にいつも笑顔の、のんびり、優しい雰囲気の方です。しかし感性は鋭く、そのみずみずしい感性が、山梨の自然に触れて紡ぎ出す優しい色合いの「樹皮」。癒し効果は本物だ、と思います。今は元野良猫6匹が出入りするご自宅をアトリエに制作に臨まれているとのこと。新しい観察により生まれる「樹皮」をお待ちしています。
(原田愛)